修験道

修験道とは
修験道(しゅげんどう)は、日本で生まれた独自の宗教です。

もともとは、日本人が古くから大切にしてきた「山は神や霊が宿る場所だ」という山岳信仰がもとになっています。
そこに仏教(とくに密教)や神道、陰陽道などが合わさって、修験道という形ができました。
そのため、修験道は一つの宗教というより、いくつかの信仰が混ざり合った日本らしい宗教だといえます。

修験道という言葉は、
修=きびしい修行をすること
験=その結果として不思議な力やご利益を得ること
という意味です。

つまり修験道とは、山にこもって厳しい修行をすることで力を身につけ、その力で人々を助ける教えです。
修行者は山に入り、自然の中で心と体を鍛え、山の神や仏の力を自分の中に取り入れようとします。
そして、その力を使って祈りや護摩(火をたく儀式)を行い、人々の願いをかなえたり、災いを払ったりします。
修験道の修行者は「修験者」または「山伏(やまぶし)」と呼ばれます。

その始まりの人物とされるのが、役行者です。

修行の場所として特に大切にされているのが、奈良県の吉野山から大峯山にかけての山々です。
ここは修験道の中心的な修行の地で、根本道場と呼ばれています。

一言でまとめると、
修験道は山での厳しい修行によって力を得て、人々を救う日本独自の信仰です。

在家得度という普通に生活しながら修験道の修業を行う道を選びました。



金剛蔵王大権現

金峯山寺の御本尊である金剛蔵王大権現は、
およそ1300年前に修験道の御開祖である役行者神變大菩薩によって感得された権現仏です。
その感得をされた際の様子を寺伝では次のように伝えています。

役行者は、全国の霊山を御開山になった後
熊野から大峯山脈の稜線伝いに吉野に修行されること33度を重ねられ
最後に金峯山(大峯山)山上ヶ岳の頂上で、一千日間の参籠修行をされました。

苦しみの中に生きる人々をお救いいただける御本尊を賜りたいとの役行者の祈りに応えて
先ずお釈迦如来、千手千眼観世音菩薩、弥勒菩薩の三仏がお出ましに成られました。
役行者は、その三仏の柔和なお姿をご覧になって
このお姿のままでは荒ぶ衆生を済度しがたいと思われて、さらに祈念を続けられました。

すると、天地鳴動し、山上の大盤石が割れ裂けて
雷鳴と共に湧き出るが如く忿怒の形相荒々しいお姿の御仏がお出ましに成られたのです。
この御仏が金剛蔵王大権現で、役行者はこれぞ末法の世を生きる人々の御本尊なりと
そのお姿を山桜の木にお刻みになってお祀りされたのでした。

これが、金峯山寺の始まりであり、修験道の起こりと伝えられています。

権現とは、神仏が姿を変じてお出ましになった仮のお姿という意味です。
金剛蔵王大権現は、役行者の祈りに応えて最初に現れられた釈迦・観音・弥勒の三仏が
柔和なお姿を捨てて、忿怒の形相荒々しいお姿となってお出ましに成られたものです。

大変恐ろしいお姿ですが、慈悲と寛容に満ちあふれたお姿と言われます。
全身の青黒い色が、その慈悲と寛容を表しています。
まさに怒りの中にも全てを許す「恕(じょ)」のお姿なのです。
慈愛に満ちた父母の怒りに似たお姿ともいえるでしょう。

役行者

修験道の開祖と仰がれる役行者は
我が国の正史の一つである続日本紀の文武天皇3(685)年5月24日の条に記される実在の人物です。

寺伝では舒明天皇6(634)年正月元旦に
葛城上郡茅原の里(現在の御所市茅原)にお生まれになり
幼少の頃から英邁利発で、当時の世相を慨嘆せられ
葛城山(現在の金剛葛城連山)に入って御修行になり
続いて全国の霊山を御開山になった後
熊野から吉野大峯の山々に入って修行され
最後に大峯山山上ヶ岳で一千日の参籠修行をされました。

その結果、金剛蔵王大権現を感得されて、そのお姿をヤマザクラの木に刻んで
山上ヶ岳と山下の吉野山にお祀りされました。

それが、修験道と金峯山寺の始まりとされています。
大宝元(701)年6月7日に、箕面の天井が岳で昇天されたとも
天竺に渡られたとも伝えられています。

その没後一千百年にあたる寛政11(1799)年に時の光格天皇様より
神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)の諡号を賜っています。

金峯山寺様より掲載の承諾をいただき掲載しております